2009年8月1日土曜日

浅草1-1-1・創業明治13年・神谷バー





いやはや、いつもながらのこんな深夜。

しかし、ブログというものを体験していますと、

私もそうなのですが

こんな夜中の恐ろしい時間に

様々な方々が文章を書き…

そして更新している。

本当に,日本は24時間眠らない都市なのですね。


かく言う私も、こんな夜中に仕事の合間をぬって

こんな文章を書いているのですから、五十歩百歩。


で、本日は 今日の一言にも書き込みました酒場話。


浅草1-1-1に「神谷バー」という、

これはこれは優れたバー…いやいや

実は食堂と言った方が似つかわしい…があります。

本日は、この神谷バーの話…。


私はここが大のお気に入りでありまして、

言わば私の酒場放浪の、ホントの原点なのです。

★いや、実は私にとって原点は一つでなく、

 幾つかあるのですが…いずれご紹介を…。

多くの方は「電気ブラン」でお馴染みの店。



私もお邪魔すると当然ながら電気ブラン…。

創業明治13年ですから、今年129年目。

多くの方々が、まぁ電気ブランを語りますが…

実は、この店の凄さはここだけではない

とそんな思いです。


私の感覚で言いますと (あくまで独自分析)

ここは相席文化なのでありまして、

今は無くなりつつある

「ご近所さん付き合い」という

思想がここにある。


で、たまたま、電気ブランという酒媒体があって、

これで話が弾む


私もこの恩恵をいただき、

沢山の相席文化を堪能してきたのでありますが、

これがまぎれもなく楽しいのであります。


一杯が二杯になり、

電気ブランのチェイサーが生ビールとなり…


いや失礼…ここの正しい酒飲み(あくまで主観)は

「電気プラン+アサヒ生ビール大ジョッキ」が

いわゆるワンセットでありまして、

これを外して、私はこの場にいられないのでした。


相席の「高齢の友」と話が弾む…


そしてラビオリ頬張り、生ハムサラダとなり、

川海老の唐揚げ。そして枝豆追加するのですが、

最近残念なことに「ラビオリ」がメニューから消えた。

ぜひメニューに復活して欲しいと…

心から願っているのでした。


そしてとどのつまりは、酔いつぶれて…ふらふらと

アサヒビールの「偉大なるう○こモニュメント」を眺め、

地下鉄に潜り帰社するのでした。めでたし…!


実は、電気ブランはオールドが美味しいのでありまして、

また、それが注ぎ注がれる

「微妙な曲線ライン」のグラスが悩ましい。




どうにもセクシーなグラスなのでありまして、

いつも持って帰ってしまいたい衝動にかられる。



あぁ、何てあなたは「セクシー」なのでしょうか???

「今晩お暇?」とグラスに問いかけて、いつも振られて

帰途につくのでした。


神谷バーの現社長、当然「神谷」氏。

素晴らしいお人柄のお方で、

某方の紹介で知り合い、

今では大変にお付き合いをいただいているのですが…


ある時…浅草ビューホテルの地下のバーで一献した時


「今だから白状しますが…

 私は電気ブランのグラスをこっそりと

 盗んだ事があるのです…

 どうしようもなく…欲しくて欲しくて…」


と顔色伺いながら話をしましたら…


「本名さん、言ってくださいよ…差し上げたのに…」


と笑顔で返してくださいました。



で、話はこれで終わらず…


しばらくして、久しぶりの神谷バーにお邪魔したら


何と…電気ブラングラスが

フフフフフっ…「一般販売」されていたのです。


さすが、神谷社長、やることがお洒落!!


ますます「神谷バー」を好きになってしまったのでした。


それでは、お後がよろしいようで



★神谷バーの話は、これだけに終わらず

またいずれ続編を



2009年7月31日金曜日

首が回らないのです…


今日の一言にも書き込みましたが、
今朝起きたらとてつもなく首が痛いのです。

病気とかいうことではないのですが、変な
体勢で寝たからか、枕の位置が良くなかっ
たのか、きっと寝違えたのでしょう。

朝、目覚ましが鳴って、虚ろ状態で寝返り
をうったら…どうにも首が痛い。

あれれ、おかしいな…と思い、ベットから
起き上がると、もう首が左右に動かない。
当然その時は縦にも動かなかったのです。


人間というものは、健康体でいると少しの
無茶も「大したこたぁねえよ…」等と高を
括ったりするものですが、現実自分の身に
災難が降り掛かってくると…こりゃ大変な
のでした。

最近、毎夜寝る前に「腹筋最低30回」を目
指していまして、実は昨夜は50回をクリア。
そのまま意識朦朧でとなった所までは覚え
ていますが、それが悪かったか…。

まぁ、年齢も年齢ですし、あまり無茶しち
ゃ行けないってことですね、とほほっ。


今夜は、近場の銭湯に行って、ゆっくり足
を伸ばし、ジェットバス・薬草風呂につか
り気分転換し、仕上げにちょっとだけいつ
もの常連の酒場に立ち寄りビールを1本だ
け飲んできました。

酒場の八十歳になる女将さんが、「本名さ
ん、湿布して上げるから…ほら脱いで…」
と、私はカウンターで上半身裸になり、
風呂上がりの火照った身体に冷たい湿布を
してもらいました。ありがたいものです。

さてと、もっと早く寝ようと思っていまし
たが、もう午前一時半。後少しメールを片
付けて、今夜は寝ます。おやすみなさい。



2009年7月28日火曜日

Little Essay 誕生秘話…






この本名企劃事務所のホームページの中に、

この私自身の「日常ブログ」と共に…

もう一つ静かなプログを立ち上げています。


心は気まぐれ・本名康友のLittle Essayという

タイトルで書き込んでいるのですが、これは…


「現実と非現実」の間に存在する一瞬の出来事

を切り取った風景描写です。


絵画でも、沢山の往来がある風景や、風になび

く木々や、子犬とじゃれる子供達や、口づけを

交わす恋人達や、揺れ動く世界等を、写真と同

じように切り取っています…。


それを私は「Little Essay」と名付けました。


本名康友のLittle Essayは、実は今から25年程前

に誕生しています。


25年前、私は仕事で地方都市におりました。

というよりも、25年前、私は株式会社本名企劃

事務所を立ち上げ、東京に本社を、地方都市・

そう福島県郡山市に支社を持ち、たった一人で

行ったり来たりの往復で仕事をしていたのです。


某仕事で、郡山駅前に「ショットバー」のプロデ

ュースを依頼され、コンセプトワーク・ロゴマー

ク・内装計画・メニュー開発・スタッフ教育マニ

ュアル・告知活動全てを請け負いました。


圧巻は、回転ドアと80cm×7mの超ロングのカウ

ンターバー。さらにサントリーの角瓶をメインに、

ストレートでも、ロックでも、水割りでも、ソー

ダ割りでも全て350円というリーズナブルさ。


店内の大きな黒板には、その日のお勧めメニュー

と定番メニューがチョークで書かれ、25年前の店

にしては、それはそれはお洒落でした。

現在も健在であります。


私はいつもそのカウンターで酒を飲んでいたので

すが、毎回使われる「コースター」。

これが、お客様が去ると、そのままゴミ箱へ直行。


ある夜、何気なくコースターの裏を見ると真っ白。

言わば…素敵な原稿用紙がそこにあったのです。


私は店の了解を得て、そのコースターの裏面の真

っ白な原稿用紙にLittle Essayを書き始めました。


丸い小さなスペースに収まる「小さな話」。それ

がLittle Essayの始まりでした。


いつしか、そのバーのカウンターの上には、私の

Little Essayコースターが多数並ぶようになり、

そしてそれを楽しみにしてくださるお客様が増え

ていったのです。


その後私は郡山を離れ、東京での仕事に集中する

ようになったのですが、それで郡山のLittle Essay

はジ・エンド。


インターネットという代物が誕生し、BLOGとい

う存在を知って、再び書き始めたLittle Essay。

お蔭様で既に100話を越えて、ゆっくりとですが

今も書き貯めています。


嘘かもしれない本当の話…、本当かもしれない夢

物語。「現実と非現実」の間に存在する、不思議

な世界を、ぜひお楽しみいただければ幸いです。


長くなりました…。

それでは、皆様…お元気で…。