2009年9月15日火曜日

イチロー万歳!!




本名企劃事務所・本名康友BLOGの更新が遅れがちで
「ゴルゴ13への挑戦」から暫く日数が過ぎてしまいま
した。読者の皆様ごめんなさい。

で、久しぶりの書き込み、そう、海の向こうのイチロ
ー選手が前人未到の大仕事を達成してくれましたね。
しかし、何と言う清々しさなのでしょう。

同じ仕事人として、日本の政治家たちは、何かとてつ
もない勘違いをしていて、自分たちの行動を棚に上げ
つつ、ひたすら責任のなすり付け合いと保身ばかり。
特に大敗した自民党のその後を見ると、また判らぬの
か…本質が…と、絶句する程です。

さて、本日の本題はそうイチローなのですが、200本
安打9年連続、という話がしたいのではなくて、私は
またしても発見してしまったのです。

イチローの身長と体重!!
ゴルゴ13は、180cm・80kgで、そのスペックと一緒に
なった時は大変に嬉しかったのですが、今度はイチロ
ーであります。

公式発表によりますと、180cm・77kg。

ふふふっ、私はつい先日その数字を的確なダイエット
により無事クリア。現在75kgなのです。

ゴルゴ13もイチローもクリアし、目標70kgに着実に近
づいているのです。うはははっ。

しかし、イチロー、もっと痩せているイメージがあり
ましたが、77kgもあるのですね。

しかしゴルゴ13もイチローもそうですが、やはり鍛えて
いる肉体には、バランスよく肉がついているのであり、
私の場合は、大変にバランス悪く偏って肉がついている
のでした。無念…。

それでは、本日もこれから腹筋100回クリアして寝ます。
それでは皆様、ごきげんよう!!


2009年8月25日火曜日

ゴルゴ13 への挑戦!!

■http://www.butsuyoku.net/shokugan/golgo13/



長年の不摂生から、積み重ねてしまった体重が今年

5月の段階で85kgに到達しようとしていた。


実際身長は180cmあるので、超肥満児??という訳

では無いだろうが、どうにも不規則な生活の日々、

深夜の飲食等が重なり続けて、気がついたらかなり

身体が重くなっていた。


当然五十才という年齢もあり、メタボ真っ盛りと言

われてしまえば反論できないが、元々骨太でなく、

問題は体重の多くの部分を占めていたのが「お腹」

なのだ。


確かに、それこそがまぎれも無いメタボなのである

が、ある日ふと考えた…。


まぁ、このままの生活を続け谷底に落ちるか…

いや違った人生を選択し、谷底を回避するか…


では、違った人生を選択する上で、何が必要かとい

うと、「違った人生を生きよう!」等というかけ声だ

けのマニュフェストは無意味なのであって、そこに

は人生を変えるだけの某かのアクションが欲しいのだ。


実は、体重80kgの頃は、さほど焦る感覚は無かった。

と言うのも、トイレの愛読書??(皆さんも経験ありま

すよね、トイレ読書)であった、不滅の名作コミック

「ゴルゴ13」を読んでいて、ゴルゴ13のスペックが

何と、身長180cm・80kgであるという新事実をつか

んだのだ。この事実は、現在の私にとっても心の支え

であり続ける。


■出典先不明


当然、ゴルゴ13と当時の私を比較するつもりは毛頭

無いが、何か妙な安心感を覚えてしまったことはいな

めない。


で、気がつくと体重は85kgに限りなく近づいてしまっ

ていた。


そして考えた…

違った人生を選択し、谷底を回避しようと…。


ゴールデンウイークから、徹底したダイエットを始め

たのだ。

今迄365日外食だった日々を改め、夜の酒量を減らし、

寝る前には食べ物を口にしない。当然間食もしない。

一日腹筋200回目標。事務所マンションの8階迄は徹底

してエレベータを使わない。できる限り歩き、そして

真面目に仕事をする。


お蔭様で、何と本日75.8kg。約9キロ程度ダウンに成功

した。目標体重は70kg。後6kgダウンを目指している。


結構始めてみると、胃袋は小さくなっていて、それほど

食べ物に対しての極度な執着は無くなり、辛かった腹筋

もまぁ何とか日々クリア。階段も、始めた頃よりだいぶ

楽。人間という生き物は柔軟性が高いとつくづく感じる。


最近「痩せた」と言われるが、多くの人が続けて私に

言うのは…


「オイ、麻薬やってない?」

「ガンなんじゃないの?」

とどのつまりは…

「振られたの?」だってさ!!


何故か全てマイナーな発想ばかり…。


お蔭様で、私は身体も軽くなり、すこぶる調子が良く

なって、目標体重になってもきちんとリバウンドも考

え生活をして…そして違った人生をこれから謳歌した

いと思うのでした。


あらら、調子にのって長文…失礼しました。


ふふふっ、もうゴルゴ13より痩せてるもんね!!!


お後が宜しいようで…



2009年8月24日月曜日

五十にして道程を考える



最近五十才を迎え思うのは、当然ながら自分の道程。

僕の前に道はない 
僕の後ろに道は出来る…

高村光太郎の代表的作品「道程」なのだが、
久しぶりに読んでみるとなるほど思い深いものがある。

ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで 守る事をせよ
常に 父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

教科書にも載っていたこの作品、実は原型があって
かなりの長文。

ある時…道の最端に立っている自分に気づく。
そして振り返ると歩いてきた道が見える。
曲がりくねった様々な道、自堕落・絶望・苦悩という
道の表現が続く。
先端に立ち、そして「生命の道」への疑心暗鬼と戦う。
が、その惨憺たる自分の道が生命に導く道だったと気
づかされる瞬間、それが自然の広大ないつくしみに涙
したことから始まる。
そして、それに気がつくことで、一人立ちという、こ
れからの道を歩く指針を確認する。

偉大なる自然・父の子供たちは、これからの道を全身の
力で拓いて行かなければならない。当然更なる試練や、
紆余曲折はあるのだが、父のいつくしみに対して報いた
いとする気を燃やし、前へ歩く力となっていく。



久しぶりに全文ゆっくりと読み返してみると
昔読んだころの印象と今とでは大きく価値観が変わって
きている自分に気づく。

五十を境に考えたことは…自分自身道程へのこだわりが
多かったのではないか?という事実。道程にこだわること
で、道程を嘆き、道程に守られ、そして道程にしがみつ
いている自分があったのではないか?と感じる。

偉大なる自然・父というものは、多くの人間たちの心の
中それぞれに違った価値観で存在するに違いないが、問
題はそれに気づくことができるのか否かなのだろう。


歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光輝く風景の中に踏み込んでゆけ



先端に立ち 立ち止まって
昔を悔やんだり 思い出ばかりに浸り続けると
未来の道程は決して生まれない…。
僕の前に道がないからこそ、
歩かねばならない。

そして、それらに早く気がついた時
きっと優れた道程が刻まれていくに違いない。










2009年8月15日土曜日

ブログ更新遅れの言い訳…とほほ



どうも最近も本名企劃事務所のホームページのトップ
に掲載している「今日の一言」の題材探しと、その創
作活動に時間を取られてしまい、本来の公式ブログで
あるこのページが、お座なりになってしまっています。

これは大変に問題なのであって、しかし現実…一日に

■今日の一言
■公式ブログ
■心はきまぐれLittle Essay

を全て更新する訳にも行かず、どうにも手抜きが見え
てきた今日この頃です。

当初、今日の一言は1-2行程度のコメント的に考えてい
たのですが、現実、今日の一言がブログ化されてきて
しまい、少しずつ少しずつ長文化。それも私の視点が
複雑なのか、思想的になってしまったり、哲学的にな
ってしまったりと…良いのか悪いのか?



以前は、匿名でアメーバブログ等を日々更新しており
ましたが、あのアメーバ…とても巨大でして、更新者
も読者もとてつもなく多い。だから、アクセス数がと
んでもなく増えて行くのですが、このGoogle・ブロガ
ーブログは特異性もあって、なかなか浸透しないとい
う難点が…。当然読者もとっても少ない。

ただ、ブログ転送機能があって、Google・ブロガーブ
ログに書き込んだものが、自分のホームページに転送
されるという便利さ。(ちょっと特殊作業ですが…)
転送されたブログには、一切広告が入らない点も気に
入って、元々不特定多数の多くの人々に読んでいただ
くためのブログではないし、あまり多くに読まれて、
文章力の指摘を受けるのも辛いし…ねっ。

ということで、公式ブログ更新遅れの言い訳でした。

それでは、お後が宜しいようで…

本名康友




2009年8月1日土曜日

浅草1-1-1・創業明治13年・神谷バー





いやはや、いつもながらのこんな深夜。

しかし、ブログというものを体験していますと、

私もそうなのですが

こんな夜中の恐ろしい時間に

様々な方々が文章を書き…

そして更新している。

本当に,日本は24時間眠らない都市なのですね。


かく言う私も、こんな夜中に仕事の合間をぬって

こんな文章を書いているのですから、五十歩百歩。


で、本日は 今日の一言にも書き込みました酒場話。


浅草1-1-1に「神谷バー」という、

これはこれは優れたバー…いやいや

実は食堂と言った方が似つかわしい…があります。

本日は、この神谷バーの話…。


私はここが大のお気に入りでありまして、

言わば私の酒場放浪の、ホントの原点なのです。

★いや、実は私にとって原点は一つでなく、

 幾つかあるのですが…いずれご紹介を…。

多くの方は「電気ブラン」でお馴染みの店。



私もお邪魔すると当然ながら電気ブラン…。

創業明治13年ですから、今年129年目。

多くの方々が、まぁ電気ブランを語りますが…

実は、この店の凄さはここだけではない

とそんな思いです。


私の感覚で言いますと (あくまで独自分析)

ここは相席文化なのでありまして、

今は無くなりつつある

「ご近所さん付き合い」という

思想がここにある。


で、たまたま、電気ブランという酒媒体があって、

これで話が弾む


私もこの恩恵をいただき、

沢山の相席文化を堪能してきたのでありますが、

これがまぎれもなく楽しいのであります。


一杯が二杯になり、

電気ブランのチェイサーが生ビールとなり…


いや失礼…ここの正しい酒飲み(あくまで主観)は

「電気プラン+アサヒ生ビール大ジョッキ」が

いわゆるワンセットでありまして、

これを外して、私はこの場にいられないのでした。


相席の「高齢の友」と話が弾む…


そしてラビオリ頬張り、生ハムサラダとなり、

川海老の唐揚げ。そして枝豆追加するのですが、

最近残念なことに「ラビオリ」がメニューから消えた。

ぜひメニューに復活して欲しいと…

心から願っているのでした。


そしてとどのつまりは、酔いつぶれて…ふらふらと

アサヒビールの「偉大なるう○こモニュメント」を眺め、

地下鉄に潜り帰社するのでした。めでたし…!


実は、電気ブランはオールドが美味しいのでありまして、

また、それが注ぎ注がれる

「微妙な曲線ライン」のグラスが悩ましい。




どうにもセクシーなグラスなのでありまして、

いつも持って帰ってしまいたい衝動にかられる。



あぁ、何てあなたは「セクシー」なのでしょうか???

「今晩お暇?」とグラスに問いかけて、いつも振られて

帰途につくのでした。


神谷バーの現社長、当然「神谷」氏。

素晴らしいお人柄のお方で、

某方の紹介で知り合い、

今では大変にお付き合いをいただいているのですが…


ある時…浅草ビューホテルの地下のバーで一献した時


「今だから白状しますが…

 私は電気ブランのグラスをこっそりと

 盗んだ事があるのです…

 どうしようもなく…欲しくて欲しくて…」


と顔色伺いながら話をしましたら…


「本名さん、言ってくださいよ…差し上げたのに…」


と笑顔で返してくださいました。



で、話はこれで終わらず…


しばらくして、久しぶりの神谷バーにお邪魔したら


何と…電気ブラングラスが

フフフフフっ…「一般販売」されていたのです。


さすが、神谷社長、やることがお洒落!!


ますます「神谷バー」を好きになってしまったのでした。


それでは、お後がよろしいようで



★神谷バーの話は、これだけに終わらず

またいずれ続編を



2009年7月31日金曜日

首が回らないのです…


今日の一言にも書き込みましたが、
今朝起きたらとてつもなく首が痛いのです。

病気とかいうことではないのですが、変な
体勢で寝たからか、枕の位置が良くなかっ
たのか、きっと寝違えたのでしょう。

朝、目覚ましが鳴って、虚ろ状態で寝返り
をうったら…どうにも首が痛い。

あれれ、おかしいな…と思い、ベットから
起き上がると、もう首が左右に動かない。
当然その時は縦にも動かなかったのです。


人間というものは、健康体でいると少しの
無茶も「大したこたぁねえよ…」等と高を
括ったりするものですが、現実自分の身に
災難が降り掛かってくると…こりゃ大変な
のでした。

最近、毎夜寝る前に「腹筋最低30回」を目
指していまして、実は昨夜は50回をクリア。
そのまま意識朦朧でとなった所までは覚え
ていますが、それが悪かったか…。

まぁ、年齢も年齢ですし、あまり無茶しち
ゃ行けないってことですね、とほほっ。


今夜は、近場の銭湯に行って、ゆっくり足
を伸ばし、ジェットバス・薬草風呂につか
り気分転換し、仕上げにちょっとだけいつ
もの常連の酒場に立ち寄りビールを1本だ
け飲んできました。

酒場の八十歳になる女将さんが、「本名さ
ん、湿布して上げるから…ほら脱いで…」
と、私はカウンターで上半身裸になり、
風呂上がりの火照った身体に冷たい湿布を
してもらいました。ありがたいものです。

さてと、もっと早く寝ようと思っていまし
たが、もう午前一時半。後少しメールを片
付けて、今夜は寝ます。おやすみなさい。



2009年7月28日火曜日

Little Essay 誕生秘話…






この本名企劃事務所のホームページの中に、

この私自身の「日常ブログ」と共に…

もう一つ静かなプログを立ち上げています。


心は気まぐれ・本名康友のLittle Essayという

タイトルで書き込んでいるのですが、これは…


「現実と非現実」の間に存在する一瞬の出来事

を切り取った風景描写です。


絵画でも、沢山の往来がある風景や、風になび

く木々や、子犬とじゃれる子供達や、口づけを

交わす恋人達や、揺れ動く世界等を、写真と同

じように切り取っています…。


それを私は「Little Essay」と名付けました。


本名康友のLittle Essayは、実は今から25年程前

に誕生しています。


25年前、私は仕事で地方都市におりました。

というよりも、25年前、私は株式会社本名企劃

事務所を立ち上げ、東京に本社を、地方都市・

そう福島県郡山市に支社を持ち、たった一人で

行ったり来たりの往復で仕事をしていたのです。


某仕事で、郡山駅前に「ショットバー」のプロデ

ュースを依頼され、コンセプトワーク・ロゴマー

ク・内装計画・メニュー開発・スタッフ教育マニ

ュアル・告知活動全てを請け負いました。


圧巻は、回転ドアと80cm×7mの超ロングのカウ

ンターバー。さらにサントリーの角瓶をメインに、

ストレートでも、ロックでも、水割りでも、ソー

ダ割りでも全て350円というリーズナブルさ。


店内の大きな黒板には、その日のお勧めメニュー

と定番メニューがチョークで書かれ、25年前の店

にしては、それはそれはお洒落でした。

現在も健在であります。


私はいつもそのカウンターで酒を飲んでいたので

すが、毎回使われる「コースター」。

これが、お客様が去ると、そのままゴミ箱へ直行。


ある夜、何気なくコースターの裏を見ると真っ白。

言わば…素敵な原稿用紙がそこにあったのです。


私は店の了解を得て、そのコースターの裏面の真

っ白な原稿用紙にLittle Essayを書き始めました。


丸い小さなスペースに収まる「小さな話」。それ

がLittle Essayの始まりでした。


いつしか、そのバーのカウンターの上には、私の

Little Essayコースターが多数並ぶようになり、

そしてそれを楽しみにしてくださるお客様が増え

ていったのです。


その後私は郡山を離れ、東京での仕事に集中する

ようになったのですが、それで郡山のLittle Essay

はジ・エンド。


インターネットという代物が誕生し、BLOGとい

う存在を知って、再び書き始めたLittle Essay。

お蔭様で既に100話を越えて、ゆっくりとですが

今も書き貯めています。


嘘かもしれない本当の話…、本当かもしれない夢

物語。「現実と非現実」の間に存在する、不思議

な世界を、ぜひお楽しみいただければ幸いです。


長くなりました…。

それでは、皆様…お元気で…。